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里山の冬:続・読書の季節/ゲーリー・スナイダーの詩集『亀の島』

 禅詩人ゲーリー・スナイダーの詩集『亀の島』を読んだ。1975年のピューリッツァー賞を受賞−随分と古い、ビートニク全盛の時代に書かれたものだ。70年代以降のアメリカ文学に大きな影響を与えたポピュラーな詩集の一つ、とのこと。そういえば、彼の家族−妻の雅(Masa)、長男 開(Kai)、次男 玄(Gen)、を描いた『入浴(The Bath)』という性と生を謳歌した詩に、いつかどこかで出逢っていた記憶がある。これは、とっても、いい詩だ。

 ゲーリー・スナイダーは、近代文明を否定し、自然と共存するライフスタイルを創り出そうと、北カリフォルニアのシエラネバダ山麓で自らの思想の実践を始める。”北アメリカ”の名を止めて、先住民の創世神話に基づく”亀の島”と呼び直すようになって、どう生きるかを学ばねばならない一つの場をあるがままに見ることができるようになった、と彼は云う。無限に成長しようとする癌のような重工業中心の乱開発、危機に瀕する現代文明。一つの場所が歴史の中でいかに変容したかを『亀の島』で描き、彼は生態系を視野に入れた新しいライフスタイルをこの詩集で示唆する。

 ところで、私にとって面白かったのは、ウィルドネス(人間の影響の及ばない手つかずの自然)を欧米人はどう受け入れたのかについてである。ウィルドネスは、キリスト教文化圏では、アダムとイヴが罪を犯して追放された楽園とは完全に対立をする場所−不毛の土地であり、人類にとっては苦痛を強いる領域なのだ。アメリカに移住してきた人々にとって、ウィルドネスを開拓し「楽園」に変えることこそが「アメリカの明白なる運命」と謳われたのであり、彼らにとってこの事業は「荒野への使命」と呼ばれたのであった。この「楽園」こそは、紀元前8世紀にヘシオドスによって書かれたギリシャ神話の黄金時代そのものである。この神話によれば、現在のみじめな黒鉄時代は、だんだん堕落していく5番目の時代にあたり、その1番始めが黄金時代なのだ。欧米人の文化では、人類の歴史は始め良くてだんだんと悪くなるのである。ヘシオドスによると黄金時代は、パンドラが箱のふたを開けて、それまでに知られなかった悪をまきちらした時に終わった。黄金時代の次は、銀、青銅、英雄時代と、どんどん悪くなり、ついに我々の今住んでいる黒鉄時代になった、というのである。ウィルドネスを黄金時代の「楽園」に変えること−開拓や開発、欧米人の自然観の根っこの部分は、ここらあたりにあるのだろう。

 さて、急速にウィルドネスが失われる中、ウィルドネスの破壊を憂慮する気運が欧米で興った。”力への意志を否定する”禅仏教を体得したスナイダーは、西欧近代文明の思想とはその対極にあるウィルドネスの地を選び、その場で生活することに自分の生き方を見出したのである。ビートニクとしての必然であろう、と私は頷く。詩人としての素敵な生き方だ、と羨ましく思うのは私だけではあるまい。しかし、それってチョッと違うかな、って思ってもいる、市井に生きる私は。

ゲーリー・スナイダー著 ナナオ・サカキ訳「対訳 亀の島(Turtle Island)」 山口書店、

1991年,ISBN4-8411-0769-X C0098

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