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里山の春:クサイチゴと訪れる虫たち

 4月初め、里山の雑木林にクサイチゴの白い花が咲き出した。クサイチゴの写真へたくさんの雌しべとこれまたたくさんの雄しべとの間には、ドーナツのような溝があり、そこに分泌される蜜に虫たちが訪れる。
 クロヤマアリが蜜を求めてやってきた。セスジハリバエもきた。クサイチゴとクロヤマアリの写真へ蜜が目当てのようだ。こう蜜ばかり失敬されては、花粉が運ばれるのかと少々気にクサイチゴとセスジハリバエの写真へなる。
 5枚の花びらが散ると、たくさんの雄しべの真ん中にもう若い果実ができている。田植えのころ、クサイチゴは、真紅のルビーのような実を光らせるようになる。この粒つぶの実は雌しべが肥ったものだ。クサイチゴの実の写真へ

 枕草子と同じころ、小野宮斉敏君達謎合(なりとしきんだちなぞあわせ)に、クサイチゴが出てくるとのことだ。古典のことは、苦手なので引用することとしよう。宇都宮貞子さんの「草木ノート」によれば、

 右方から「なぞなぞ、老いて生まれたる物。又こやくむみのあいし」と出た。左は、「「老いて生まれたるものは、もし白髪生ひて生める子にやあらむ」などいひて「苺か」といふ」。
 この答えは当たっていて、右の用意した歌に、「むば玉の髪はしらけて恥ずかしく いちにてむめるこをぞ悲しぶ」とある。いちごという名、苺の字、そしてこの実の愛らしさから、子や母の連想はあるが、老いて生むとはどいうことだろう。花の落ちたあとの枯れた雄蕊を白髪と見たとか、苺は五薬六味を絶した美味、妙薬だから、これを食べていると老婆でも子を生むからとか、いろいろ解かれている。「もし白髪生ひて生める子にやあらむ」と聞きただしているのからもわかるように、それが肝腎の点らしい。白々と残っている多雄蕊、その白髪のまん中に、実がだんだんと太ってくるのを「白髪生ひて生む」といったのだろう。

 よく自然を観察し、自然と共に生きる当時の人々の優雅な遊び心にうらやましさを感じるのは、私だけではないだろう。

 さて、このクサイチゴ、美味しいという説と、あまり美味しくはないとの2説ある。甘い物に慣れた現代人の舌には、少々物足りないかもしれないが、なかなかに美味しいというのが私の感想である。
 遠くから見る、近づいて見る、触ってみる、味わってみる、これが認識する時の基本だ。そもそも、自然観察とは、……。だいぶ、アルコールが身体に周ってきたようだ。この辺で著者は、ホームページ作りをやめてしまうのである。

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