電池で動くカブトムシ
平成5年夏、東京都内のある公立小学校の低学年の子どもが、母親と次のような会話を交わした。
「お母さん、カブトムシが動かなくなったからお金をちょうだい。」
「いいわよ。だけど、どこまで(新しいカブトムシを)買いに行くの?」
「近くのコンビニ。」
「コンビニ?」
「うん、電池を買ってくるんだ。カブトムシの電池を替えてあげるんだよ。」
オモチャのカブトムシではなく、生きている本物のカブトムシですよ、このカブトムシは。この話を聞いて、あなたはどう思いますか。
かつて、里山は、子どもたちの冒険の場であり、生きものと遊ぶ発見の場でした。「生」の自然を体験することを通して、子どもたちは自然の神秘に興味を持ち、「生きものは、やがては死ぬ。」という、自然の掟を身をもって学んできました。
日本の高度経済成長政策のもと、里山は破壊され、子どもたちの遊びも一変しました。虫を追いかけ、泥まみれになって遊ぶ子どもたちの姿は、今見かけられません。子どもたちは、ファミコン・ゲームのヴァーチャルな世界を楽しんでいます。テレビに映し出される”自然”を知ったような気になっていますが、「生」の体験にもとづかないので、雨あがりの雑木林の臭い、汗ばんだシャツに心地よく吹く風、盛夏の日影のヒンヤリとした落ち着き…など、五感を研ぎ澄ます機会がないですし、本やテレビでの知識だけですから、自然との付き合い方の智慧は、育まれてはいないでしょう。
今こそ、「生」の自然に身をおいて、体験を重視する教育が必要です。センス・オブ・ワンダー、自然に対する好奇心・驚きと感動を持って自然と接することが求められています。
大人のみなさん、もっともっと賢くなりましょう。お金でカブトムシを買い与えるのではなく、もっと子どもと一緒に野山に出かけましょう。破壊され身近にはないとはいえ、子どもと遊べるフィールドは捜せば、まだまだあるはずです。コンビニでカブトムシの電池を買うという子どもにしてしまったのは、私たち大人なのです。今からでも、遅くはありません。お金ですべてを解決するのではない生き方をしませんか! 未来をになう子どもたちのために、私たち、大人の生き方が今、問われているのです。
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