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クロガケジグモの写真へオーストラリアから密入国したクモ

 セアカゴケグモよりもっと以前にオーストラリアから日本に密入国したクモがいる。30年程前、1977年6月5日、奈良県の斑鳩(いかるが)町竜田川附近で、私は見なれぬクモを採集した。このクモは、追手門学院大学の西川喜朗博士により、クロガケジグモIxeutics robustus(L,Koch,1872)と同定、奈良県新記録との知らせをいただいた。(クロガケジグモの学名は、谷川明男博士の研究により、現在はBadumna insignis となっている)

 クロガケジグモは、大阪府布施市で1963年に初めて発見されたが、雌個体ばかりであったため、属・種の決定がされなかった。1972年、松原市にも生息が確認、雄個体も採集され、八木沼健夫博士の研究の結果、オーストラリア区に多数生息するものと同種であることが1974年に確認された。

 クモは移動する能力は小さくて、ほとんどは幼生の時に空中に流した自分の糸にぶらさがって飛ぶBallooning(空中旅行)によって遠距離移動をする。クモが大空を飛ぶのである。では、オーストラリアから飛んできたのだろうか。一般に、熱帯や島に住むクモはあまり飛ばないと云われている。飛んで海に落ちたら一巻の終わりだし、熱帯はどこも同じような環境なので危険を冒してまで飛ぶこともあるまい。一方、世界共通種となっているクモは、家屋に接触した生活をしているので、鉄道等により人為移動された結果、その分布を広げたものとも考えられる。クロガケジグモも、オーストラリアのどこからか、積荷について日本に運ばれてきた可能性が強いわけだ。日本とオーストラリアの貿易は近年たいへんに盛んなのだから。そして、日本とオーストラリアは、赤道を隔ててほぼ同じ緯度だから、気候条件も似ているだろう。当時、日本では大阪東南部と和歌山県の西牟婁郡すさみ町に生息することがわかっていたが、奈良県でもその生息が確認されたわけだ。

 このクモは、分布を確実に広げているようで、奈良県では、斑鳩町の他、三郷町のほぼ全域、王寺町、平群町、御所市での生息を確認している。

 真っ黒な体にもじゃもじゃの毛を生やして、不規則な網の奥に潜んでいる。写真は電柱にはった網から出てきたところ。ガードレール、フェンス、雨樋など人工物に網をはるクモだ。どんなところに網をはるのか、クモにも好みが有るらしい。

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ゴミグモの写真へギンメッキゴミグモの写真へゴミグモとギンメッキゴミグモ

 網の真ん中にごみをつけ、忍者よろしく木とんの術。ゴミグモは面白い。棒でクモをつつくと、僕はごみですよとばかりに、ポトリと落ちる。でも心配御無用。お尻からひいた糸のおかげで、いたずら者が立ち去ったころを見計らってスルスルと糸をたぐり、もとの網のもとの場所へ。

 クモは、頭を下にして網に陣取る。ところが、ギンメッキゴミグモは頭を上にして網に陣取る。なぜだろう? 素敵な銀めっきの衣装に、青い空の色をいつも映している。

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