里山の夏:夏の思い出
夏がくれば思い出す… 中田喜直の唄は、はるかな尾瀬 遠い空 だが、私の場合、それは小学生のころ
家の庭。訪れるチョウをみては、父に買ってもらった小学館の昆虫図鑑で名前を調べていた。
夏休みの自由研究。先生の出すこの宿題には困った。当時はやりの電子工作キットはとても買ってもらえない。これを持っている友人がうらやましかった。菓子箱に綿を敷き詰めた標本箱に、きれいな貝殻を並べた作品を提出する日焼けした女の子。標本も、その子の真っ黒に日焼けした肌も眩しかった。高学年になって、友達と野球やドッジボールをして遊んではいたが、真っ黒に日焼けするほど活動的に遊ぶより本を読んで空想にひたるとか、テレビを見てごろごろしているのが好きな子どもだった。
自由研究の題材は、大体母が探してきた。ダイズとエンドウマメの芽生えの比較…世話をして、写真を撮ったのは母だった。この自由研究は、先生に褒められた。根気よく、毎日よく観察をしましたね、というわけだ。褒められるべきは、母である。
だいたいにおいて、根気よく育てる、丁寧に標本を作る等というのは苦手である。昆虫の標本は、脚を虫ピンでそろえねばならない。チョウなどは、展翅板で羽をひろげる。面倒くさい。標本箱も問題だ。自分で作ったとして、デパートで売っているそれとは比べるまでもなく貧弱な物になるだろう…と、やる前から見栄えのことを気にして、邪魔臭いと思ってしまうのであった。標本は作った後もたいへんだ。カツオブシムシに標本を食われぬようにしなければならんしな…等と理屈をつけ、よって標本作りはしないと自ら納得してしまうのだった。
手っ取り早い標本はないか。鱗粉転写法というのがあった。これはなかなかに残酷である。捕らえたチョウの羽を胴体からはさみでちょん切る。胴体は要らないので捨ててしまう。筆で卵の白味を紙に塗り、この上に切り取ったチョウの羽をのせて二、三日押しておく。鱗粉だけが紙に接着するから、この紙を切り抜いて台紙に貼ってやり、胴体の部分は色鉛筆で描いてやればよい。標本箱を必要としないし、展翅する手間もない。これはいい。アゲハ・キアゲハ・イチモンジセセリ・キタテハ・モンシロ・スジグロ・モンキ・アカシジミ…、母に手伝ってももらったが、胴体を描くのは自分でやった。
この鱗粉転写標本作りで私は大発見をした。アオスジアゲハを鱗粉転写するとアオスジのところが転写されずに白く抜けるのである。つまりアオスジアゲハの青いすじは鱗粉ではなく、羽そのものに青い色がついているのであった。小学生の私にとっては、とてもワクワクする発見だった。初めて本の知識ではなく、自ら得た発見だった。
八月の盆も過ぎ、こうして自由研究の目処がついたころ、ツクツクボウシが鳴き出すと、二学期の始業式へむけてカウントダウンが始まる。廊下に机を出して(ここが一番涼しかった)残った宿題に焦りを感じながらも遅々としてはかどらない。宿題ができていず泣きべそをかいている自分の姿にうなされて、ああ夢だったのか、という日々が続くのである。今でも、ツクツクボウシの声を聴くと夏休みももう終わりだという哀しさを覚え、宿題に追われていたころの自分を思い出し郷愁にかられる。
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