里山の夏:"虫めづる"文化 とalpine spider
昆虫は、「虫けら」と呼ばれることが多い。その小さな命のもつ美しさや不思議さ、見事な生きざまは、好奇心を失ってしまった大人たちには虫のためか無視されがちだ。しかし、一度子どもの瞳にもどって虫たちの世界を覗いてみると、小さな命たちと植物が3億年の間に築いてきた絆の素晴らしさにロマンを覚え、大自然の摂理の中で生きてきた彼らに畏怖の念を抱かざるを得なくなるだろう。兼好法師に言わせれば仮の宿りの私たち、地球46億年の歴史に比べれば、一瞬にすぎない私たちの人生、はるか古生代から進化し適応してきた昆虫たちと出会うことによって私たち人類は、謙虚に自分たちを見る眼を与えられるのではないだろうか…。ちょっと、大袈裟な書き出しになってしまった。
さて、日本人ほど昆虫の好きな民族は少ないだろう。どの小学校にも何人かの昆虫少年がいて、虫の名前をすべて言い当ててみせる、標本すら見たことのない外国の虫の名前だって知っている、というのは日本ぐらいのものだろう。これは立派に文化であって、豊かさの証である。子どものときに虫で遊ぶことが、ごく普通でないとこうはならない。かつて、日本の里山の夏は虫たちの宝庫であり、子どもたちにとって発見と冒険の場所であった。
こんな話を読んだことがある。小学校低学年までアメリカで暮らしていたT君は、小学校中学年のころに日本に帰国して驚いた。同級生がみんなゴキブリを飼って遊んでいる。どっちの方が大きいかなどといって自慢しあっている。さすがにすぐ、それはゴキブリではなく、カブトムシという虫だと教わったそうだが、何とも不思議だったという。帰国子女のT君は、動物好きだが虫にはまったく親しみを覚えないそうである。また、彼は潮干狩りもしたことがないそうで、春になると皆が海に貝を掘りに出かけるというのが、30代になってもいまだに不思議だと感じているという話だ。駆除の対象としてしか虫をみない文化の中では、"虫めづる"文化は育まれないのであろう。虫たちは悪者にされてしまうのである。
悪者・嫌われ者といえば、クモはその最たるものの1つである。クモは、節足動物門蜘蛛形綱に属し、虫(昆虫)ではないのだが、昔から日本では小さな動物を虫と呼んできたので(疳の虫などという虫もある)、"虫めづる"ホームページは"蜘蛛めづる"でもある。
さて、夏といえば山。立山・黒部アルペンルートは、私のような健脚でない者でも乗り物を乗り継ぎアルプス気分が味わえる。室堂のバスターミナルから雪渓を横切り、一の越から雄山に登る。祠に柏手を打った後、大汝山・富士ノ折立・真砂岳、そして別山へと稜線を歩き、雷鳥沢まで下るコースは1日の行程だ。真砂岳で、足元を見る。黒いクモが歩き回っている。網を張って獲物を待つタイプのクモでなく、徘徊して餌を捜すタイプのコモリグモである。1頭採集して図鑑で調べると、タカネコモリグモのオスらしい。このクモは、標高2100
m以上(亜高山帯・高山帯)に分布する高山性クモ(alpine spider)で、北海道・千島などに分布する寒地性のクモでもある。高山にこのようなクモがいるのは、空中飛行によるとの考えと、氷河期の残存との2説があり、後者の方が有力らしい。ロマンチックな話ではないか。立山は、山崎カールなどの氷河地形がある。立山には、タカネコモリグモがよく似合う。"虫めづる"私はこう感動してしまうのである。
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