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パプア(イリアンジャヤ)の旅 2011年8月7日〜8月17日

 クモ相撲とクモを追いかけての僕の旅、今回はパプアである。バリ島(デンパサール、Denpasar)〜スラウェシ島(マッカサル、Makasar)〜ニューギニア島(ジャヤプラ、Jayapura)、ロストバッゲージもなく無事、ジャヤプラ到着。ジャヤプラから、さらにワメナ(Wamena)へ。ワメナの空港で出迎えの藤原一孝さんと出逢った時は、正直ほっとした。ワメナ(標高1,500 m)を拠点に、ダニ族を始め多くの部族が集うバリエム・フェスティバル(Baliem Festival)、塩の池(標高約2,000 m)へのトレッキング、フラワーフェスティバル(Flower Festival)、ハベマ湖(Lake Habema、標高3,300 m)への四駆でのドライブ、クリマ(Kurima)へのトレッキング、というスケジュールであった。もちろん、僕は各所でクモを採集し、夜明け前と夜間の探蜘も行った。治安の良い街である。標高1,500 mのワメナは、本当に涼しく、夜は寒いぐらいである。熱帯に避暑に来たと言っても過言ではない。

 さて、現地の人々は皆、好奇心旺盛だ。クモを探していると、物珍しそうに集まってきて、「ここにいるゾ!」と声を掛けてくれる。パギ(PAGI)、テリマカシ(TERIMAKASIH)、こんにちは、ありがとう、と僕は応える。インドネシア語でクモは、LABA-LABA、人はORANだから、スパイダーマンは、ORAN LABA-LABAであろうか?

 1937年、ニューギニア島西部上空を飛んでいた米軍用機が、バリエムの谷(Baliem Valley)に人が住んでいることを発見、これは石器時代さながらの生活を営んでいる人々の発見であった。水上飛行機で調査隊が最初に降りた場所がハベマ湖である、とは藤原さんの話。なるほど、熱帯雨林に覆われた地に入るには水上飛行機なのだ、と僕は冒険映画「インディー・ジョーンズ」の一場面を想像した。

 現在,ユネスコ世界遺産に登録されているロレンツ国立公園(Lorentz National Park、外国人の立入は基本的に禁止)のハベマ湖からニューギニア島2番目のトリコーラ山(Mt. Trikora、標高4,743 m)を遠望すると、山頂は残雪である。藤原さんは、日本からヨットでニューギニア島へ、マンベラモ川(Mamberamo Riv.)をゴムボートで遡上し、この山の北壁初登攀という登山家である。彼の初めてのワメナ入りは、1981年。その頃は、服を着た人々は希で、人々のほとんどは、裸であったとの事。沢山の興味深い話を伺った。ハベマ湖を見られたのも、帰途ジャヤプラで、パペダ(Papeda)というサゴヤシのダンゴ…二本の木製フォークを使い、水飴のように取ったダンゴ状のサゴヤシを飲み込む…と鯉のスープを食べることができたのも、またタパ(Tapa、タヒチ語)という樹皮布の絵画を見に、センタニ湖(Lake Sentani)のアセイ島(Asei Is.)を訪問することができたのも、藤原さん情報のお陰である。

 さて、クモの話であるが…、標高0 mのジャヤプラから標高1,500 mのワメナ、さらに標高2,500 mまでには、ホシスズミグモ Cyrtophora moluccensis が見られたが、標高2,500 m〜3,500 mの雲霧林と3,500 mの森林限界以上にホシスズミグモは見られなかった。標高3,500 m付近で、鼓のような皿網を張るサラグモ科のクモと、コケむした崖面に45 cm×30 cmの底面という大きな棚網を張るタナグモ科のクモを採集した。クリマ(標高1,500 m)の人家では、マラバルジョロウグモモドキ Nephilengys malabarensis を、ワメナでは、ゲホウグモ類、様々なトゲグモ類、様々なハエトリグモ類を見た。また、空洞の樹枝(内径2 cm×長さ15 cm)の中に居る小さい黒色のクモが、樹枝の上方にジグモの巣のような筒状の網(直径2 cm×長さ10 cm)を張っていた。このクモ標本をヒメグモ類の権威、山形県立博物館の吉田 哉さんに見て頂いたが、雄がないからよく判らない、とのことで、残念。「ウォレス線」に名を残すA.R.ウォレスのように、パプアを満喫したという今回の僕の旅でした。

 サポートしてくださった潟Wスコの野村 弘さん、ワメナ在住の藤原一孝さん・ガイドのコスマンさん、楽しい旅をありがとう!!

地図01地図02クモの撮影クモの採集行き交う人々

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