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ベトナム・タインホア省のディエンビエン小学校を訪ねて (2002年の夏)

 ホーチミン市の空港から国内線に乗り継ぎ、ハノイのノイバイ空港に着いた息子と私を、ツーリスト会社のガイド兼日本語通訳フォンさんが出迎えてくれた。クラクション、パッシングライト、追い越しというドライバーさんの超素晴らしい(でも、ちょっと怖い)運転。すさまじいバイクの洪水の中、私たちを乗せたトヨタ・カローラは夕闇のハノイ市内へと向かう。「明日は、ホーチミン廟と旧市街の見学。午後は、陶器の村バチャンへ行きます。そして、食事。次に、水上人形劇を見ます。明後日は、何をしたいですか?」私たちが、タインホア省のディエンビエン小学校を訪問したい旨を伝えると、フォンさんはびっくり!「ハノイから170 kmもあります。タインホア省は、ベトナム中部です。タインホアの方言が私に聞き取れるか心配です。その小学校の場所はどこですか?」大阪の日本ベトナム友好協会の杉原さんの紹介状を彼女に見てもらう。「うーむ、これに住所は書いていないですね。調べてみましょう。」フォンさんは、若いのにとってもよく頑張ってくれた。「私は、クモの写真も撮りたい。」と云うが、クモという日本語が通じない。彼女にクモの絵を見せる。ベトナム語でクモは、ニェン(nhen)と云うのだそうだ。「クモは、いいやつなんだ。」私が力説をすると、「クモは、いいやつなんですね!」と納得をしていただいた(?)。
 
 ハノイのホテルからタインホア省へ車を飛ばすこと3時間余。途中の風景は、どこまでもどこまでも続く水田。所々にバナナ畑、そして質素な家と農民の姿。とっても懐かしい景色だ。タインホアの街に着いたのは、11時半頃。街の人々に聞くとディエンビエン小学校は、2つあると云う。まずはディエンビエン1小学校へ。門が閉まっている。今日は、日曜日だし…、と途方にくれていると、「こっちへついて来なさい。私は、少し、日本語が出来ます。」と、バイクに乗った人が現われた。実はこの方、ベトナム日本友好協会のフンさんだった。彼の後についてディエンビエン2小学校へ。新しく建てられた小学校はこちらなのだ。2階建ての校舎が2棟向かい合って建っていた。ここで、息子と私は大歓迎を受けた。校長のグェン・ティ・テ先生をはじめディエンビエン小学校の先生、ベトナム日本友好協会タインホア支部長のフンさんと友好協会タインホア支部の方、そして、小学校校舎建築の推進役でありディエンビエン区の区長であるホン・ニャ・クアンさん。日曜日にもかかわらず、皆さん朝から私たちを待っていてくださったとのこと。大感激!勝手に押しかけたのに、歓迎の昼食会までもっていただいた。その温かいもてなしに、気恥ずかしいような、申し訳ないような、そして嬉しい気持ちで一杯になった。夏休み中なので子どもたちはいなかったが、各教室には、ホーおじさんの5つの教えが掲示されており、一所懸命に勉強している子どもたちの姿が想像できた。

 さて、ディエンビエン区の区長ホン・ニャ・クアンさんは48歳。彼の父は、日本人である。彼の父、杉原さんは、敗戦の年、海軍軍人だったが、上官は日本の敗戦を受け入れず、「杉原よ、船でベトナムに渡り物資を手に入れて海南島の我が軍に戻れ。」との指令を出した。杉原さんは、単身ベトナムに渡ったが帰れなくなった。 やがて、ベトナムではフランスとの祖国解放の闘いが始まり、ベトナムの人々曰く、「杉原は、日本海軍の軍人だったのだから、我々にフランスとの闘い方を教えろ。」となり、彼は手旗信号などベトナム人にいろいろと教えたのだそうだ。 そして、杉原さんはベトナム女性と結婚し、子どもをもうけた。しかし、フランスの支配から独立できる見通しがたち、国際的にみて、このフランスとの闘いに、元日本兵がかかわっていたとなると国際問題化するので、現地ベトナムの人々は、「杉原よ、子どものことは心配するな。われわれが立派に育てるから、おまえは日本に帰国しなさい。」となったのだ。

 ベトナムの経済視察団の一員として、立派に成長した杉原さんの息子=ホン・ニャ・クアンさんが、日本を訪れた。そして、40数年ぶりに父と子が日本で再会したのである。「ベトナムで困っているのは,小学校の校舎が老朽化していること。他にもいろいろ困難はあるが、未来を担う子どもたちの教育のため、校舎を建替えたい。」ホン・ニャ・クアンさんのこの思いに、杉原さんとつながりのある日本の人々が2,000万円の募金を集め立派な小学が建設されたのである。

 小説のような話だ。私と私の息子は、この大河ドラマのような話に感動をし、今回この小学校を2人で訪問した、というわけである。

 ところで、ディエンビエン小学校で、私は数頭のクモを採集した。先生方やガイドのフォンさんが、「ここにも、クモがいます!」と教えてくれた。ムシバミコガネグモに似ているのやマネキグモ、ハエトリグモ類など、日本のクモと同じような種類であった。クモを採る、変な日本人と思われたに違いない。

 観光とショッピングだけではないベトナム旅行が出来たのが何よりも楽しかった。そして、ベトナム料理は、とっても美味しかったので、ベトナムのビールもよく飲んだ。出会いをサポートしてくださった方々に感謝の気持ちで乾杯!

サイゴン川の夜景

ベトナム旅行最後の夜。
ホーチミン市のサイゴン川の夜景を見ながら、ベトナムのビールで乾杯!

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