里山の秋:秋草にすだく虫
秋の七草は「万葉集」の歌二首(山上憶良)である。
あきぬにさきたるはなをおよびおり かきかぞうれば七くさのはな(1537)
ハギのはな オバナ クズばな ナデシコのはな
オミナエシ また フジバカマ アサガオのはな(1538)
これらの草花は、お盆の堤燈に描かれていた。私にとって秋の七草は、お盆と結びついてしまうのである。子どものころの記憶をたどれば、盆の準備は近くの川辺のマコモ取りから始まる。これをござに編み仏壇に敷くのである。ナスとキュウリにオガラ(麻幹)を挿して牛と馬に見たて、ホウズキ・枝豆・稲の穂さらにはエノコログサ等も飾り付ける。ハスの葉の上にサイコロ型に切ったナスを載せお供えする。ミソハギの花穂の束ねたものを水に浸しては、ハスの葉に盛ったサイコロ型ナスビに水をパッパッとかけてから合掌するのだ。川辺でオガラを燃やし、秋の七草の絵柄堤燈にこの火を移す。盆のお迎えである。堤燈の火を消さぬようにして家に持って入ることで先祖をお迎えする。送りは堤燈の火をオガラに移し、川辺で火を炊いて"来年もまた来てください"と手を合わせ、仏壇に飾ってあったナスとキュウリの牛馬やお供え物をマコモのござに包んで川に流すのであった。この風習はまだ残っているだろうか?
ちなみに、私の生まれと育ちは東京は葛飾柴又のちょっと北…金町である。隅田川下流にたくさんの盆のお供え物が流れ着いていた。田舎から東京に出てきた男が、これはもったいないと云って佃煮にしたのが「福神漬」の始まりだ、などという話を聴いたことがあるが本当だろうか?
いずれにしても、流し雛を始め日本人と川の関わりは深い。"まあ、堅いことは云わず水に流して…"という感覚は、日本人に特有のものかもしれない。
さて、だいぶ道草を食った。秋草にすだく虫の話であった。夏の終わりに、ふっと気がつくと、いつのまにか虫の声が聞こえるようになっている。秋はこうして、ふっと気がついたときにはやってきているのだ。秋草の中で虫たちは初秋には高らかに謳い、晩秋には行く秋を惜しむように物悲しく鳴く。そして、ふっと気がつくと、虫たちの声がしない。秋はこうして、ふっと気がついたときには去ってしまっている。
この虫の音は、気温の影響を受けている。彼らは変温動物であり、翅をこすり合わせて出す音は、彼らの筋肉運動によっているからだ。筋肉の運動は、暖かくなれば速く、体が冷えれば遅くなるので、気温によって鳴き声のテンポが変わるのである。歌のリズムだけではない。すべての生の営みのスピードが温度の関数として変化するのである。だから、気温が限界以下になってしまうと、歌うことも、歩くことも、食べることもできなくなってしまい、干からびて土の一部になってしまう。しかし、こうして土に返ってしまうがその土の中には無数の卵が産みつけられていて、彼らは再び訪れる春を待っているのである。
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