加治木町のくも合戦 (2002年)
錦江湾に面し、雄大な桜島を望む鹿児島の加治木は、「くも合戦」の町だ。毎年、6月の第3日曜日は「くも合戦」の日。私は、今年の6月16日、加治木町を訪れた。子どもから大人まで、加治木はクモの勇壮な戦いの熱気に一日中包まれる。この日、集まったクモは、約400匹、観衆は3,000人。「合戦」は、2002年FIFAワールドカップサッカーに負けず劣らず、いやそれ以上の盛り上がりだ。
手塩にかけて育てたクモを携え、朝早くからたくさんの人が集まってきた。南の地、鹿児島と云えどもこの時季、まだクモは大きくはない。加治木の人たちは、夢中で野山に分け入り、コガネグモの雌を採ってきては自宅で育てるのだ。「くも合戦」のクモは、みな雌のコガネグモである。強いクモに育てるにはノウハウがある。焼酎をクモの網に吹っかけて元気づけたり、ビタミン剤注射をしたコガネムシを餌としてクモに与えるという裏技もあるらしい。大人たちが本気になって入れ込む遊びだから、昔はバクチの要素もあったことだろう。「くも合戦」は、裃(かみしも)姿の行司がその戦いをさばき勝敗を決める。約400年前から続く由緒正しい行事ならでは、である。
優勝旗の返還、各界の名士の挨拶が済むと、「くも美人コンテスト」が始まる。大きくて、脚の長い八頭身のクモが「優良くも」だ。そしていよいよ、2匹のクモの戦いだ。3勝したクモは、王座決定トーナメント戦へと駒を進める。「合戦」は7時間にも及んだ。熱い戦いが済むと、クモはもとの野山に放たれる。「また、来年のために、卵を産んでくれよ」との願いを込めて。
『クモの合戦 虫の民俗誌』の著者である斎藤愼一郎さんも会場に来ておられた。斎藤さんによると、クモ合戦は漁民文化の名残りではないか、という。「クモ合戦の文化」は、黒潮と対馬海流に沿って、各地に伝播していたとのこと。そういえば、加治木の人たちがクモを育てる手作りのかごは、獲った魚を入れておく魚篭(びく)そのものである。「奈良から、よく来られましたネ。」と、光栄にも斎藤さんに握手して頂き、私は加治木の町の素晴らしい一日を体験した。そこには、クモとクモが生息する自然をこよなく愛し、クモと遊ぶ心を持った子どもと大人たちがいた。
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